江戸時代の残照 旗本物語

地域にはそこに刻まれた歴史がある。それを掘り起こして未来を考えていくシリーズです。

埼玉県下には江戸時代、旗本の知行地が多かった。

江戸近郊に知行地を得ることで、年貢の徴収、輸送など便利だったからである。

禄高は一万石未満から三百石ぐらい(御目見え以上)まで様々であったが、徳川将軍の直属の意味である“直参”を無上の栄誉としていた。

入間・比企・高麗地方を知行した旗本には、旗本中最高禄の九千五百石の横田氏、五千石の島田氏、七千五百石の三枝氏、七千石の富田氏、

一万三千石の大名に昇った加賀爪氏など歴々が名を列ねている。

知行地の交替や御家取り潰し没落した旗本はあったものの、おおむね江戸時代を通じて知行地に変動はなかった。

旗本たちはそれぞれの知行地に菩提寺を建立し、手厚い保護を加えて代々の葬地とした。

(坂戸市の永源寺にある島田氏墓所)幕府が崩壊してすでに150年、それらを菩提寺と墓碑群は永年の風雪に耐えて、

その姿を今に伝えている。まさに“江戸の残照”と言えるだろう。

しかし、かつては領主様、殿様、地頭様と呼ばれ、この地に深い関わりをもった彼ら旗本の名前には、一般になじみがない。

まして、その家の歴史や人物・事件について知る者は少ない。

彼らはこの地に眠っているのだ。同じ地に住む者として、これでは気の毒である。

これから旗本の歴史と人物を紹介してみようと思う。

Author: ヒキコマ、ハジマル。