びん沼物語④昼間の渡し

びん沼物語④

旧荒川飯田河岸に、徳川家康ゆかりの「昼間の渡し」

地元有志が船着場を復元

 

びん沼川を、県道・船渡橋から北に300メートルほど上ったところに「昼間の渡し」の跡がある。その昔、徳川家康が関東に入国して間もない頃、日が暮れてこの渡しにさしかかった際、村人がたいまつとかがり火で迎え、昼間のように明るかったので、「昼間」の名をもらったとされる伝説の渡しだ。この「昼間の渡し」が地元有志によって復元されている。

家康を助けた地元民

昼間の渡しは、鎌倉から江戸時代にかけて岩槻から川越に至る街道が荒川を越える地点。伝説は、徳川家康がまだ豊臣秀吉の家来で、関東に追いやられ、北条氏と戦っていた頃のことだ。川越城を攻めて反撃に遭い、岩槻城に退却しようとこの渡しにさしかかったら日がどっぶり暮れてしまった。そこで地元の人が、一説ではかがり火をたき、たいまつをかざして家康を安全に渡してあげた。もう一説では、村人が火をたいてこちらにも軍勢がいるように見せかけて家康を援護したとも言われている。

 

「昼間」さんが今も地元に

家康は大変に感激し、江戸城に入って1年ほど後に、「あの時は大変助けられた」と礼を言いにきた。その時昼間のように明るかったことから「昼間の渡し」という名を付け、渡し守(船頭)に川岸あたりの土地と「昼間」の姓を与えたとされている。

これは単なる言い伝えではない。地元には実際に「昼間」さんの姓が残っていて、船頭さんの子孫だとされている。そのうちの1軒には、由来を書いた古文書も伝えられていた。

また、近くに西光院というお寺があり(現在は廃寺)、家康がそこで休息したとされ、地元の人たちがそこに家康をまつった「権現さま」、東照宮を建てていた。西光院を解体した時、その門扉を現在残っている昼間さんが預かっているという。

「昼間の渡しは、伝説というより、95%は事実ではないか」と考える地元民が多い。

 

昼間ノ渡シ友の会

江戸時代から明治・大正にかけては、このあたりは舟運の飯田河岸として大変栄えていた。川岸には、船頭小屋や船宿、茶屋などが立ち並んでいた。しかし、明治末期に県道ができて現在の船渡橋付近に橋が架けられと、渡しは不要になり廃止され、跡は近年に至るまで放置されていた。

この渡しの復元に取り組んだのが、地元有志から成る昼間ノ渡シ友の会(清水文雄代表)だ。関係方面に働きかけ、7年前に船着場、「権現さま」(「記念堂」の名)も建てた。約50名の会員が整備・管理にボランティアで参加。毎年11月3日の文化の日には、「徳川家康の舟渡り」として、舟に家康と家来を乗せて川を渡り、お酒をふるまうイベントも開いている。

(金子 豊治郎)

Author: ヒキコマ、ハジマル。