地図から謎解き②

次は赤尾金山。やはりこの地名から連想するのは鉄である。鉄といえばもののけ姫のたたらのシーンを思い出す。でも周辺を見回しても、周りは水田ばかり。鉄とまるでかかわりが無い雰囲気だ。さてどうしようか?完全に煮詰まった。そのときは原点に戻る。そう地図だ。もう一度地図を調べよう。鉄にかかわりのある地名を探せばいいのだ。

 そのヒントは「坂戸風土記15号」に添付された地図にあった。近くに鍛冶屋敷、カネ山。カネイ塚など鉄に関係ありそうな地名あるではないか。中でも鍛冶屋敷という地名は、鍛冶職人が住んでいた所じゃない。 さらに地図を調べていくと、金山彦神社を発見した。この神さま、名前からして鉄に関係ありそうだ。 やっぱりそうだった。この神様は鍛冶・鋳物の神さまで、金山彦と金山姫という神さまが祀られていて、カナヤマサマと呼ばれているそうだ。

問題は原料の調達だ。調べてみた。日本では砂鉄が少し取れるだけで、原料のほとんどが輸入されているそうだ。でも砂鉄は採れるってことだから・・。  そうだ、こどものころ砂場に磁石をもっていくと、砂鉄がいっぱいくっついた。砂なら川にもあるじゃない! 地図を見ればいくつもの川が見つかる。高麗川、都幾川、越辺川。これなら川砂鉄が採れるはず。川が運んでくる砂鉄で、武具や農機具などを作る人たちがここに住んでいたのだ。 時が流れいつのまにか鍛冶をする人がいなくなってしまったけれど、その痕跡が地名として残ったということだ。赤尾金山というバス停の由来が、何となく分かったような気がした。 後日、郷土史研究家の方にお話をうかがったところ、赤尾金山から一キロほど南に、別所というところがある。そこから金くそ(鉄を焼いて鍛えるとき、はがれて落ちるクズ)が出てきたそうだ。それもわりと最近のことだとか。 越辺川はこの地域の人々に砂鉄という恵みを運んでくれんた。でも、時には大きな災いも運んできたのである。

 赤尾と越辺川  越辺川は外秩父山地の越上山を水源とし、川越市釘無橋付近で入間川に合流する、38.5kmの荒川水系の河川である。山間に水源をもつ大谷木川や毛呂川、鳩川などと合流しながら、坂戸市上吉田で高麗川と合流、坂戸市赤尾で都幾川と合流する。地図を見てもらえばはっきりとわかるのだが、集落の北側で合流した川は、ほぼ直角に南へ流れを変えている。さらに、明治初年頃の越辺川の流路が記された地図を見ると、現在よりもはるかに激しく蛇行していることがわかる。 地図を見ていると、穏やかな流れの川原で砂鉄を採集する村人の姿のほかに、田畑をのみ込む濁流のそばでなすすべもなく立ちつくす村人の姿が意識の中に浮かび上がってきた。

 水の持つ圧倒的なパワーの前では、われわれ人間ができることなどたかが知れている。現代でも、水をコントロールすることはできていない。水との戦いは過去のことではなく、現在から未来まで続くおおきな課題だ。 現代では土木工事という手法で戦っているが、過去の人はどうしたのか。 人間の手に負えない部分は、神さまにお願いする。このパターンは今も昔も変わらない。だから神に祈ったのだ。大水から村を守ってくれる神さまに。 村の鎮守さまである諏訪神社の神さまには、水防の役割をお願いし、嘉永六年(一八五三)には、二柱の九頭竜大権現と、一目連神社が新たに祀られた。 九つの頭をもつ竜と一つ目の竜(一目連のこと)は、いずれも水をつかさどる神で、村人の総力を結集して祀られたものだったようだ。それにもかかわらず、その六年後の安政六年(一八五九)再び、赤尾村は水害に見舞われた。 洪水を納める方法として赤尾と島田の人々は、飯盛川対岸の小沼堤防を破壊すればよいと考えた。下流に位置する小沼の村人がこれを黙ってみているわけがない。どちらも大切な家族と村を守りたいのだ。必死の攻防戦を展開したと推測できるではないか。

 この地域対立の象徴として登場するのが竜である。 越辺川の竜 越辺川の上流の竜は、雌雄の夫婦竜。対する下流の竜は東光寺の僧、梶坊が 化身した竜。  竜が戦う様子を想像してみた。荒れ狂う嵐の夜、上空で戦う三頭の巨大な竜。夜空を切り裂く鋭い稲妻。たたき付けるように降る雨、激しく吹き荒れる風。身をくねらせて戦う竜の巨体を稲光が闇の中に浮き上がらせる。  まるでファンタジー映画やアニメのワンシーンみたいじゃない。  それともゲームかなぁ その年の夏は毎日雨が降り続き、越辺川の水かさはどんどんと増えて今にも土手が切れそうだった。それを知った赤尾と島田のお諏訪さまは、竜神となって村を洪水から守るために、下流にある小沼の堤を切りに行った。 それを知った小沼の梶坊権現は槍を持って応戦した。激しい戦いが続いたのだが、その勝敗の行方は明らかだった。二対一だもの赤尾・島田の夫婦連合が勝つに決まっている。でも敗れた小沼の竜もがんばった。槍で赤尾の竜の尻尾を切ったのだ。だから、赤尾諏訪神社本殿の竜の彫刻は尻尾に傷がついているそうだ。  

 後日、昭和二十二年に米軍が撮影した航空写真を見た。そこに写っていた越辺川は、まるで大地に身をくねらす竜のようだった。 タイムトリップ  その日の天気予報は、「冬晴れだが寒さは厳しい」という予報だった。  モコモコに着込んで自転車で出発だ。いけるところは、「いつでもチャリ♪どこでもチャリ♪♪」だから。 まずは梶坊権現から探す。小さな祠らしいから地図にのってないだろう。まずは東光寺に行き、東光寺のご住職にお願いして梶坊権現の場所を聞く。地図を書いていただいたのですぐわかった。 その祠は、梶坊沼のほとりに建っていたというのだが沼はもうないそうだ。現地に到着。祠に向かって右手が飯盛川の堤防。左側が低くなっているので、もしかしたらここに沼があったのかもしれない。祠のなかに半紙を敷いて丸いお餅が供えられていた。それを見たときに、一瞬だけ過去の情景が浮かんだ。

 次は、三頭の竜が戦ったという、飯盛川と越辺川の合流地点に。飯盛川はほぼ直角に越辺川に流れ込んでいる。対岸は川島町、中洲には白鳥や何種かの水鳥がゆったりと羽を休めている。川砂鉄を採集する人の姿が意識をよぎる。堤防を下りて北へ向かえば赤尾だ。まずは諏訪神社へ向かう 諏訪神社の本殿は鞘堂の中にあるので確認できず。しっぽの傷を見たかったのに。次は赤尾金山へ。 赤尾金山のバス停のすぐ横に、鉄工所があった。ご先祖も鍛冶師だったのかしら。話ができたら良かったんだけど、昼時だったので誰もいない。残念。地名の由来が証明されたかもしれないのに。

 次は二ヵ所の神社へ。 金山彦神社も白山神社も堤防を背にして集落を守るように建っている。白山神社には、二柱の九頭竜大権現と一目連神社が合祀されている。この三柱の神さまは、以前は越辺川の浸食されやすい川原に祀られていたのだが、昭和三十年代の河川改修のさいに白山神社に移された。 都幾川と合流した越辺川は白山神社の辺りでほぼ直角に近い角度で南に流れを変える。地図によると曲がった辺りの河川敷が運動公園になっているのだが、それらしきものは見えない。都幾川と越辺川の合流地点に架かっているのが落合橋なのだが、そこが通行止めになっていた。 赤尾弾正のバス停を背にして立ってみた。目の前には冬の田んぼが開けている。その彼方に木立と家々が見える。梶坊権現の祠のお餅が浮かんだ。それがタイムマシーンとなって、意識が過去へととんだ。昔の赤尾村の情景が目の前の情景と重なった。いま私はタイムとリップをしている。  翌日、坂戸市役所へ電話して落合橋のことを聞いた。一昨年の台風で、川島町側の橋が流されてしまったという。水と人の戦いは現在進行形で行われている。  

Author: ヒキコマ、ハジマル。