出雲伊波比神社のやぶさめ (毛呂山)

出雲伊波比(いずもいわい)神社の秋の流鏑馬(やぶさめ)
<埼玉県指定無形民俗文化財>

11月3日の午後1時ごろ、八高線毛呂駅近くの出雲伊波比神社に到着。神社の階段下から社殿前まで、道の両側に多くの出店が並んでいた。夕的(ゆうまとう)行事は、午後2時半からなのに、既に多くの人が馬場の柵前に並んで陣取り、わずかな隙間を見つけて待つことにした。地元の人だけでなく、近隣から多くの観光客を集めている行事である。

馬場の様子

夕的前の馬場の様子

流鏑馬1

夕的(ゆうまとう)を待つ観客

 

 

 

 

 

 

 

 

毛呂山の流鏑馬は、1063年 源義家が奥州平定の後、臥龍山の八幡宮に流鏑馬を奉納したのが始まりと伝えられている、伝統的な地域行事の色彩が強く、揃いの衣装をつけた地元地区のメンバーが世話役を務め準備している様子であった。

 

流鏑馬5

口取りの乗り子

流鏑馬は、11月1日から始まる一連の行事の中の一部として行われている。乗り子は地域から選ばれた中学生と若いことに驚かされた。

一般に流鏑馬と思っているのは、ここでは馬場で行われる「朝的(あさまとう)」「夕的(ゆうまとう)」行事の中の矢的(やまとう)のことである。
色違いの3頭に乗った乗り子たちが、口取りをする若者や世話人たちに先導され場内を一周した後、一の馬のみで行われる願的(がんまとう)の後、矢的(やまとう)が始まった。一の馬が走りだすと続けて、二の馬、三の馬が走るので、あっという間に目の前を通り過ぎる。これを三回で矢的は終了し次の儀式へ。
地域で支える伝統行事は素晴らしい。       (285)

 

 

 

毛呂山の流鏑馬2

矢的(やまとう)

 

 

 

出雲伊波比神社
古式ゆかしい「やぶさめ」で有名な神社。毛呂山町のほぼ中央、小高い独立丘陵である臥龍山の上に位置しています。

神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によると、景行天皇の53年に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征を成し遂げ、がい旋した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)をまつったとされ、また、成務天皇の御代に武蔵国造兄多毛比命(エタモヒノミコト)が、出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神としたとされています。

奈良時代の宝亀3年(772)の大政官符によると天平勝宝7年(755)に朝廷から幣帛(ヘイハク・神前に供えるもの)を受けたという記載があり、出雲伊波比神社が官弊社であったことが明らかにされました。

平安時代には、醍醐天皇の勅命で編さんされた延喜式神明帳のなかで武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられており、古来より格式の高い神社であったことが解ります。鎌倉時代以降、武士の信仰も集め、源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、また、大永7年(1527)の焼失後、翌亨祿元年(1528)には、毛呂顕繁が再建しました。

現在の本殿はこの再建時のもので一間社流造、県内最古の神社建築であり、棟札二面と併せて国の重要文化財に指定されています。

住所
入間郡毛呂山町岩井西5丁目17-1

From 毛呂山町HP

Author: ヒキコマ、ハジマル。