伊佐沼(川越)の蓮

江戸時代からあった伊佐沼(川越)の蓮と大岩?

川越にある伊佐沼の古代ハスが今年も大輪の花を咲かせました。この古代ハス、最近ではあちらこちらで栽培・繁殖されていますが、もとは千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘された2000年以上も前のハスの実(3粒)を発芽させたもの。発見者の大賀一郎博士に因んで「大賀ハス」と呼ばれています。

さて、2000年以上も昔ではないにしても、江戸時代の伊佐沼には確かにハス(蓮)が自生していたようです。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』巻之百六十三、入間郡之八、河越領伊佐沼村条には、以下のように伊佐沼のことが記されています。

『新編武蔵風土記稿』巻之百六十三、入間郡之八、河越領伊佐沼村条

  伊佐沼 東方なり。当村及び古谷上村・鴨田の三村入合の沼なれば、いづれの村と定めて属せしところはなし。沼の長さ十七町、幅三町余。内にもと大なる岩一つありしが、いつの頃よりか沼の中にうづもれて、今は其形をも見へず。此辺沼深く水浅けれども、鯉鮒の類多く生じ、沼のへりには蓮多く生じたれば、当村及び古谷本郷等の村民来て漁獵をなし且蓮の根を採て生産のたすけとなせり。

つまり、江戸時代の伊佐沼にも蓮の花が咲き、蓮の根(レンコン)を産出していたのです。この蓮の根はもちろん食用ということになりますが、蓮の根や実は奈良時代以前から食用にされていました。『延喜式』大膳職や内膳司の項目には、諸国貢進菓子・供御(くご)として「蓮根」や「蓮子(はすのみ)」・「藕(はすのね)」が記されており、平城京出土木簡には「蓮子」「蓮葉」と記されたものがあります。なかでも「武蔵国足立郡土毛蓮子一斗五升」「天平七年十一月」と記された木簡は、天平7年(735年・聖武天皇の時代)ごろに武蔵国足立郡(入間郡の東側)が蓮の産地であったことを教えてくれる貴重な資料となっています。もちろん川越伊佐沼の蓮は奈良時代まで遡れるものではありませんが、「蓮田」という地名も残るように、武蔵国は古来より続く蓮の産地の一つだったのかもしれません(cf.河内国〔大阪府〕も古代からの蓮の産地)。

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伊佐沼の蓮

ところで、鑑賞用、薬用、食用(お茶にもする)など、さまざまな用途に使われる蓮ですが、蓮から糸が作られることを御存知でしょうか? ミャンマーの一部では現在でも蓮の茎から糸が作られているようです。日本においては、奈良県の当麻寺(たいまでら)に当麻曼荼羅(国宝)という織物の曼荼羅がありまして、この織物は中将姫によって蓮糸で織られたという伝説があります。残念ながら調査によって、絹糸の綴れ織りであることが判明しており、また中国製とのみかたが濃厚です。管見のかぎり日本における蓮の製糸の例は確認できませんが、実際のところはどうなのでしょうか? こんど埼玉県の織物の歴史に詳しい井上浩先生に訊いてみたいと思います。

 

 

話を川越の伊佐沼に戻しますと、かつて伊佐沼には大岩があったそうで、いつのまにか沼の中に沈んでしまい、『新編武蔵風土記稿』が編纂された文化・文政年間(19世紀初)には見えなくなっていたとうことです。大岩が見えなくなってから、かれこれ200年ぐらい経つわけですが、この大岩は今も伊佐沼の泥の中に沈んだままなのでしょうか? 伊佐沼は北半分が浅く、南半分が深くなっていて、冬になると水を止めるせいなのか、北半分は干上がってしまいます。ということは、大岩は伊佐沼の南半分の泥深いところに眠っているのでしょうか? そもそもそれは大岩だったのでしょうか? 大岩でなければなんなのか? 例えば大スッポンとか大シジミ※とか??? 想像は尽きませんね!

※伊佐沼の古代ハス群生地の中にはマシジミの繁殖実験を行っている区画があります。

※伊佐沼では隔年で川越市の花火大会が行われています。
2015年は、「徳川家康公没後400年事業 第25回小江戸川越花火大会」として伊佐沼で
2015年8/29(土)19:00~20:30 に行われる予定です。(約6,000発)

(赤木隆幸)

Author: ヒキコマ、ハジマル。