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戦国時代 関東の政治の中心であった鉢形城      24ヘクタールの広大な城跡 そのまま

寄居町の荒川の名勝、玉淀の河原の崖上に広がる鉢形城跡。戦国時代、関東の政治の中心地であり、後北条氏の時代は北条氏邦の居城であったが秀吉軍に攻め落とされた。24ヘクタールの広大な城跡が、往時そのままの風情で残されている。

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源頼朝が再興した 坂東札所十番 巌殿山 正法寺

東松山市岩殿のこども動物自然公園、大東文化大学の横を上がると、物見山の崖下に、巌殿山・正法寺(しょうぼうじ、巌殿観音)が大伽藍を構える。源頼朝が再興した由緒ある寺で、坂東巡礼三十三観音の十番札所に数えられる。江戸期から戦前にかけて、札所巡りでおおいににぎわい、今でも全国から信仰のあつい人が参拝に訪れる。 続きはこちら

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菅谷館と大蔵館を歩く 畠山重忠から木曽義仲へ

埼玉県比企郡嵐山町の県立嵐山史跡の博物館は、国指定史跡菅谷館跡に立地している。菅谷館は、鎌倉時代の武将、畠山重忠の居館であった。近くには、木曽義仲の父、源義賢の居館、大蔵館跡もある。義仲は、嵐山で生を受け、木曽に移り、後に京の都まで攻め上がった。今は静かな嵐山町も、中世の歴史の宝庫である。歴史の専門家にご案内いただいた。

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木曽義仲を慰霊する流鏑馬  義仲あるいは父義賢の家臣の末裔7氏が主宰

ときがわ町の萩日吉神社の前で、3年に1回、流鏑馬が開かれる。この流鏑馬は、ときがわの明覚郷の市川、荻窪、馬場氏、隣の小川町の大河郷の横川、伊藤、加藤、小林氏の7苗(家)が主宰する。この7苗は、近くの嵐山町で生まれた鎌倉武士、木曽義仲の家臣、あるいは大蔵合戦で敗れた義仲の父、源義賢の家臣を先祖とするとされている。流鏑馬は、鎌倉武士そのままの独自の様式で執り行われている。長期にわたり家系と儀式を受け継いできた7苗の1人、市川裕彦(やすひこ)さんにお話をうかがった。     続きはこちら

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埼玉の幻のやきもの 熊井焼、飯能焼、山王焼とは

小川町の埼玉伝統工芸会館ギャラリーで9月21日から10日2日まで「埼玉のやき物」と題する展覧会が開かれる。江戸から明治にかけて埼玉県で焼かれた熊井焼(現鳩山町)、飯能焼(現飯能市)、山王焼(現東松山市)の陶器を紹介する珍しい催しだ。出品するのは、ときがわ町在住の収集家、岩田泰治さん(元小中学校校長)。熊井焼、飯能焼、山王焼とはどんなやきものなのか。

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歴代総理の指南番 「平成」元号の考案者、安岡正篤の教えを伝える (財)郷学研修所・安岡正篤記念館

東洋思想の古典に通じ、人材の育成に尽力、政財界のリーダーたちを指導した安岡正篤(まさひろ)。安岡が開設し戦前から戦後にかけ広大な敷地を擁した埼玉県嵐山町の日本農士学校跡地に、安岡教学を受け継ぐ財団法人郷学(きょうがく)研修所・安岡正篤記念館が、落ち着いたたたずまいをみせている。安岡教学とはどのようなものか、郷学研修所の活動は。

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川越唐人揃い2015

川越唐人揃いのパレードが、2015年11月15日に行われました。

川越に朝鮮通信使は来ていないのですが、
川越の豪商、榎本弥左衛門は、1655(明暦元)年に江戸で朝鮮通信使を見物し、
華やかな行列の感動を『榎本弥左衛門覚書』(東洋文庫)という日記に書き残しています。

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馬射戲(マサヒ)2015

「第4回高麗王杯 馬射戲~MASAHI~騎射競技大会」が、11月22日(日)、23日(祝)の2日間、曼珠沙華で有名な、日高市の巾着田において開催された。

この行事は、一般社団法人 高麗1300(理事長 : 大野松茂)と、日高市および高麗郡建郡1300年記念事業日高市実行委員会との共催で行なわれたものです。

伊佐沼(川越)の蓮

江戸時代からあった伊佐沼(川越)の蓮と大岩?

川越にある伊佐沼の古代ハスが今年も大輪の花を咲かせました。この古代ハス、最近ではあちらこちらで栽培・繁殖されていますが、もとは千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘された2000年以上も前のハスの実(3粒)を発芽させたもの。発見者の大賀一郎博士に因んで「大賀ハス」と呼ばれています。